何を思ったか、「人間中心設計推進機構」というNPOの会員組織に入会した。
今日はそこが主催する講演に行ってきた。
■人間中心設計推進機構
読んでそのまま、
使う人間、を中心に据えて設計する、という理念をバンバン広めていこうぜ
という団体である。(雑。。)
こんな団体ができてしまうほど、
世の中の製品やサービスが、ぜんぜん人間中心設計じゃない
(と思う人が多い)のだろう。
世の中の、手にしたり目にするモノは、
大企業のマーケット論理やらブランディングやら、
とにかく投資した分、可能な限り大きな儲けを取ろうとする、
その狙いの結果で生まれたものだ。と思う。
欲しがっている人の潜在的な数を読み取って、
最大公約数的に「これでしょ?」というものを市場に投下する。
たぶん間違っていないし、優秀な人が寄ってたかって考えてるんだから、
この方式で生み出されるモノとしては極限まで「良い物」が
市場に出回っているのだろう。
そういう利潤追求の最大公約数的発想では、
どうしても見落としてしまう隙間がある。
つまり、
儲けとは関係の無いところ、例えば、ユーザーがそれを使ったあとに
何を感じるか、とか(もちろん、それを含めて儲けを考えてるなら別)
それを使うまでの過程でユーザー個々が蓄積した経験といったもの。
企業の「狙い」とは全然別なところで、予想もつかない形で
クレームになったり、あるいは副次的な効果を生んだりすることもあるのは、
そういう使用者の深層的な要素を見落としているからに他ならないと思う。
この団体は、企業論理の反動が産んだ副産物みたいなものかな。
■企業論理の海の底で人間中心設計の夢を見る
僕は「つくる」ことそのものが好きで、
つくったものはより多くの人に満足してもらいたいと純粋に思うタチなのだけど、
企業の狙いだとかに照らし合わせると、やっぱりそういう部分に時間を割くわけには
いかなくなってしまう。真正面から取り組んだら、「ボランティア?」って
言われてしまうんだろうね。
でも、「つくる」側がふと、「つかう」側の視点に立って、実際に手にとってみると
あれ?こんなんで良かったんだっけ?ということがある。
いや、違うでしょ・・・というのが随分長いこと鬱積していた。
仮に、自分の中に「人間中心設計的」な体系的な知識やノウハウや発想が常にあって、
何か形にするときに当たり前のように表現できたとしたら。
小さかった影響を大きくしたり、或いは失敗を成功に導いたりすることが
できるかもしれない。
もしかしたら、人間のずっと本質的な欲求に応えられるに至って、
世界中で使われるモノを産み出すことができるかもしれない。
何を思ったか、
そう、そんなことを思って入会したわけです。夢見がちですね。
講演の話は面白かったから、後日シェアします。