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2013年7月9日

音楽の売られ方について



僕は音楽が好きでロック、ブルース、ジャズ、エレクトロニカ、たまに演歌も聴くし、フラメンコ音楽やボサノヴァなんかもよく聴く。
なので雑食と呼ばれる。

家ではiTunesのライブラリから本当に色々なジャンルの音楽が流れている。
ヨメも音楽は好きだけれど、流れているそれについて、あんまり興味が無さそうである。
(食事中にRadioheadはやめてくれ、とかはある)

ヨメは椎名林檎とか、NIRVANA(の、カート・コバーン)などが好きで、
どうやら音楽より先に「スタイル」とか
「生き様」みたいなものへの共感がベースになっているようだ。
その共感に、「聴く」という行為で応えている感じである。
もちろん楽曲そのものの良さで聴いていることもあるが、刹那的なもののように思う。


■ジャンル派メシウマの時代?

音楽って、「聴こう」と意志を持って選ぶ場合、その背景には
何らかの「認知」していることが前提になる。

知っているジャンルを聴くのか、
知っている人を聴くのか。
というふうに。

人によって、その軸足の持ち方が違う、というふうに言えるだろう。

僕みたいなジャンルで聴く(聴ける)派は、TuneInといったインターネットラジオから
受ける恩恵が大きい。
ジャンルで音楽を指名する、という選択の自由がそこにあり、
しかもそのサービスは無料である。
もちろん、電波の無いところでは聴けないし、
高音質を求めたりはできないけれど、少なくとも我が家のオーディオ環境で聴く分には
十分耐えられるサービスレベルだ。

逆に、TuneInも「さっきの曲、もう1回」はiTunesでの購入を意味する。
つまり、
ジャンル指定で無作為に聴くのは無料で、
個別の楽曲の指定は有料、というシステムになっている。
こうして見ると、所有というよりは、視聴権みたいな感じ。


■音楽付加価値の可能性




今後、限りなく通信環境が網羅、高速化したら、
個人の音源データの所有における物理的な所在はますます意味がなくなっていく。
音源の「所有」そのものに対しては限りなく価値がなくなっていき、
「聴く」という行為そのものが多様化して、付加価値に対価を払うという方向に向かうのは必然なのだろう。

じゃあ物理配布が無くなるかといえば、そうでもない。
物理所有がやめられない人も居る。
レコードに針を落とすのが好きな人とか、収集癖があったりとか。
今じゃ握手券が入ってたりもするし。

つまり音楽に付加価値が付けられる存在である以上、
手段の一つとして物理配布はなくならない。
むしろ、今後はどう付加価値を付けていくかが音楽ビジネスの在り方なのだろうから、
CDばかりでなく、もっともっと様々なかたちで音楽が売られても良いのではないか。


ちょっと極端な高額配布例を妄想。

・・・例えば、
ビートルズ未発表音源がプリインストールされたオーディオシステムがある施設。
もちろん、全楽曲、すべてのバージョンが、最高の音質、環境で聴けるように
最適化されている。ゆかりのメーカーの楽器が揃ってて演奏ができたり、
プロのコピーバンドが来たりする。
ファンは間違いなく行きたい。

AKBだったら握手権付き住宅はどうだろう。限定1戸。
地鎮祭にも来てくれるし、施工の一部はメンバーがやってますw
入居時はホームパーティしちゃうし。
誰か買うでしょ。
住宅を売る以上に、広告効果の方が高そうだ。
住宅メーカーは「あの人が建てた家」シリーズで継続的に賑やかしで売っていき、
同時に品質も謳っていくのだ。
「基礎がしっかりしているからこそ、有名人にお願いできた」とか
「品質は当たり前。一生の買い物にふさわしい“特別”を仕込みました」とか。


レコーディングにも付加価値があってもいいなぁ。
例えば、有名歌手のレコーディング・スタジオ見学ができるツアーとか。
ツアー客にはそこで録った音源のCDを販売。ツアー料金に含めてもいい。


もっと音楽の売り方が自由になって、
うまい具合に楽しみかたが広がればいいと思う。