こんにちは。ファミコン世代です。
寝ても冷めてもファミコンのことを考えていたあの頃。あのピコピコ音を聴くと、セピア色の思い出が蘇ってくるようであります。音楽にタグ付けされた記憶。音や匂いで潜在記憶が引っぱり出されるのは、内容にもよりますが総じて気持ちの良いものですね。
さて上の動画はファミコンソフト「グラディウス」のBMGをピアノアレンジした、というもの。「弾いてみた」ってやつです。
ちなみにグラディウスというのは一世風靡した有名シューティングゲーム。開始直後にポーズ(一時停止)して上上下下・・とコマンドすると自機の装備が「全部乗せ」になるという隠しコマンドはもはや当時の小学生の間では常識でした。1985年のソフトということですから、かれこれ30年前のソフトなんですね。
話が横道それましたが、そのグラディウスの曲は、こんなに美しかったのかと感動したのです。ファミコンの音の表現はせいぜい3,4和音。この制限の中で当時のクリエイターさんたちは知恵と創造力をフル発揮して自身の作品を詰め込んでいたんですね。
さて、日曜日の朝なんで、この気付きをちょっと紐解いてみたいなと。
■隠された美
ファミコンの音楽をデジタルの絵に例えてみると、色数と画角、解像度の制限の中で、完璧な構図とデッサン力で描かれたカクカクの線画というところでしょうか。加えてそこに「ファミコン」っていう「おもちゃ的」先入観が加わると、その作品に、チープ額縁が付けられてしまう。作品に込められていたクリエイターの本質的な意匠が、実体と先入観によって見えづらくなってしまっていた。これが「気付かなかった理由」。
■骨は死なず
そして、実体としてのカクカク線画に、絵筆で肉付けしたのがこのピアノということになりますね。さらに3D的にいえば、骨格に対する肉付け。土から出てきた骸骨を復元して実は美人だったと気付く、みたいな。
肉付けの際に、筆を持った人の新たな解釈が入り込みますが、やはり元の骨組みが美しいからこそ、その「解釈」も増幅して美しくなるのでしょう。
ゆえに、ファミコンの音楽とは、骨である。
様々な制限の中で骨しか作れなかったからこそ、丈夫な骨ができたのかもしれません。
骨は死なず。デザインは死なず。
トヨタ「アクア」のCMで使われてる楽曲の意外性も、「骨」の話につながってきますね。
今年一番好きなCM。トヨタ「アクア」CM