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2013年9月9日

過去の招致活動も大変だったようで・・


2020年東京。招致決定。

招致活動って大変なんだな・・・。関係者の皆さんの苦労には頭が下がります。
ところで昔のオリンピックも同じような招致活動をしたんだろうか?色々調べてみると、当時は当時で苦労の末に招致を実現していることを知った。


特に、1940年大会は1932年からの地道な招致活動によるものであるだけに、返上という形になってしまったのが惜しい。名乗りを上げていたイタリアに対し辞退してもらうような交渉まで行われ(Wikipedia)、1936年に招致を勝ち取っているのだ。友好国とはいえ、ムッソリーニ首相に対して「辞退してくれ」と交渉するとは、当時の外交力を象徴している気がする。

そして当時、招致を決めたIOC総会で演説したのは柔道の創設者でもある嘉納治五郎。演説での言葉かは判らないが、「オリンピックが実現しないなら、日本が独自に国際大会をやる」とまで言ったそうである。
武道精神をオリンピック精神に導入するという大きな志のもと、招致活動は晩年のライフワークだったが、実現を待たずに死去してしまう。1938年のIOC総会出席からの帰途、船上での病死だった。無念だったろう。

開催に向け、会場や宿泊施設の建設まで行われたものの、2年後の閣議で中止が決定されてしまった。日中戦争激化のため、国内外から反対の声があがったほか、競技場建設資材の調達が困難になったためだ。嘉納治五郎氏が亡くなってわずか2ヶ月後のことだった。
ちなみに戸田漕艇場だけは中止決定後も建設が続けられ完成に至り、1964年大会でボート競技場として使用されている。

代替開催地として次点であったフィンランド・ヘルシンキになったものの、これまた第二次世界大戦が激化したため、開催自体がなくなった。続く1944年の予定地ロンドンも中止になっている。
戦後の開催地は繰り越しのような形で1948年にロンドン、1952年にヘルシンキで開催。日本は1952年、17回大会に立候補するも落選している。このときも準備不足による落選だったようだ。そして1958年5月再び立候補し、1年後の1959年5月の投票でようやく招致を勝ち取ることになる。


そして50年の年月を経て再び東京が開催地となった。
国際ビッグイベントとしては、2002年の日韓ワールドカップ以来になるだろうか。今回は単独開催だし、国民の興味関心度合いとしてもオリンピックの方が大きなものであることは疑いようがない。

とりまく状況は昔も今も大変だけど、時代ごと、人々の熱意で実現してきたオリンピック。7年間何もせずに傍観していても開催はされるだろう。だけど、開催決定でいっぺんに転がってきたチャンスに何もしないってのも何だかなぁと。しばらく方向性を見守って、できることを考えてみたいなぁ。


東京オリンピック、1940年 ~幻のオリンピックへ~
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