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2013年9月10日

アクセサリーとしてのウェアラブルコンピュータについて

日産がスマートウォッチを発表した。車とBluetoothで繋がりスピードや燃費などを表示?するほか、ドライバー自身の心拍数などもモニターらしい。まぁ好きな人なら使うんじゃないの、という印象。
ウェアラブルコンピュータに対する「ほんとに要るの?」という懐疑的な見方は、それをスマホ小型化の延長として捉えた場合に起こる。小さくて不便なものにしかならないからだ。

でもこのニュースを読んで、ちょっと妄想が広がった。
例えばこれを、「思い入れのある対象との一体感演出」という方向性で考えてみたらどうだろう?僕は車を持ってないので「愛車」という感覚がわからないんだけど、思い入れのある自分の車と「繋がっている」と感じられる効果があるなら、実用価値以上の意味が生まれるんじゃないだろうか。スマートウォッチ、或いはスマート“アクセサリー”としての可能性。フィジカルなデータから視覚的効果に変換してさりげなく演出できれば、絆や愛情みたいなものを身にまとう、新しいファッションアイテムの一つとして成立するんじゃないか。

例えばペット。
ペットの心拍や犬であれば「吠える」といった動作を首輪が感知、それを演出変換して飼い主のアクセサリーで表現するとかね。もちろん、吠えた回数を通知するだけだったらスマホで見れば十分。だけど、それをさりげない演出に変換して飼い主に通知できたら、愛するペットといつも一緒、という情緒的な必然性が生まれる。

留守中「ワン」と鳴くと、離れたご主人に「さりげなく」伝わる。とかね。

そもそも、ほとんどの人が「身に付けるもの」に求めるのは、実用価値よりも、それが「どれだけ他人から見た自分をコントロールできるか」だと思う。例えば自分を、社会的に「それなりの人物」に見られるためであったり、家族や恋人に対する絆の証明だったり。

ウェアラブルコンピュータが、そういった従来の価値観をなぞりながら、「さりげなく」進化できれば、新しいアクセサリーの選択肢として十分受け入れられそうな気がするけど、まだ時間がかかりそうかなぁ。どうでしょう。

2013.9.12追記:
佐々木俊尚さんの朝キュレで本記事を取り上げていただきました。