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2013年6月20日

iOSのスキューモーフィズムとフラット化について



skeuomorphism。

すけうおも・・・
一見、はて?という単語。
スキューモーフィズムって読むんだと。
意味は、他の物質に似せるために行うデザインや装飾のこと(wikipedia)で、最近Appleがこのデザイン路線できていたiOSを、「フラット化」させるニュースで度々目にする単語になった。

最近はWindowsもGoogleもみーんな「フラット」になった。ウェブサイトもちらほら。世は空前のフラット旋風が吹き荒れているのだ。Appleもその風に吹かれたのか。それともまた、あっと言わせてくれるUIを世に示してくれるのか。


さてそもそもなぜ「フラット」にするのだろう?
流行りだから?クールだから?



スライドバーを滑らせる軌跡に施された窪みのグラフィックなど、主にドロップシャドウを多用して三次元化し、実生活での経験想起を容易にすることで、直感的な操作を助ける役割をしているのが現在のデザインである。



当然、スキューモーフィズムの方が子供からお年寄りまで、万人の使いやすさを叶える実利があるように思える。

しかし、すでにその万人が、現に日常的に使っている、とAppleは考えているのである。


iOS7の公式サイトにはこうある。


“iOSを見直すにあたり、私たちは人々に愛されているiOSの要素をベースに、よりシンプルで、より便利で、より楽しめる体験をつくることを目指しました。そして機能をつくり直していくことが、最終的に私たちを新しいデザインへと導いたのです。良いデザインとはつまり、より良い体験のためにあるからです。(中略) 何百万もの人々に愛されている機能を、iOS 7はよりスムーズで便利な体験へと洗練させました。毎日しなければ いけないことを、毎日したいことへ。iOS 7は、あなたが慣れ親しんだ方法で使えるので、改めて使い方を 学ぶ必要はありません。例えばホーム画面は、今までと同じホーム画面です。Retinaディスプレイと その下に広がるスペースを一段と有効に活用したところだけが違いますが、使い方はまったく同じです。
製品がきちんと設計されていると、つまりテクノロジーを優先させず、中心にきちんと人間を置いて設計すると、人はその製品につながりを感じるようになります。製品が、単なるデバイスではなくなるのです。iOS 7がつくり出すのは、そんなつながり。” 
 iOS7 デザイン―http://www.apple.com/jp/ios/ios7/design/


「愛されている」と2度も言っている。
(日本の企業にはカルチャー的に使えない言葉だろう)
たぶん、それは事実である。
そして、便利になること以外は変わらないのだ、と。

スティーブ・ジョブズが道を拓いた現在のタブレット端末という常識。
街中の人が液晶パネルを指でゴシゴシ擦りまくる風景を、ほんの数年前誰が予想できただろう?
それは、iOSという徹底して直感的なインターフェースが、「対象:人間」というノン・セグメントなコンセプトで開発され、そして受け入れられたことを裏付けている。
道なき道を造るにあたっては、この徹底さが不可欠であった。

そして今、世界70カ国(今はもっと?)で使われ道は大きく拓けた。
憶測だが、スキューモーフィズムは、それに至るための“補助輪”と位置づけたのではないだろうか。
これは、Appleというストーリーの新章なのだ。


この秋、「愛されている」iOSはフラット化し、新しいユーザーナビゲートをすることになる。既にあれこれ批評が出ているが、これは「さわってなんぼ」のプロダクト(僕はあえて「道具」といいたいが)だ。

“良いデザインは、使った瞬間にわかります。”

使うまでわかりません、ですって。
道具を使う、という喜びと発見が詰まったこの発明品の、新たな展開を今はただ期待していたい。