もともとは、昔買ったCDをリッピングしたもので、いつからHDDに入っているかは忘れた。CDは確か、通っていた大学の近くの本屋のCDコーナーで買ったやつだ。ということは、もう15年は前のことになる。
もっと音源の辿った道を遡ってみよう。しかしこの辺からだんだん想像の域になってくるので、ほぼ適当な記述である。
・・・たぶんその本屋にあったCDはどこかの卸倉庫からやってきたのだろう。で、もともとはCDのプレス工場みたいなところで作られた。たぶん、マスターコンピューターに音源マスターデータがあって、ある日一斉に焼き付けられたんだと思う。名盤ではあるけれど、それほど頻繁にプレスが行われることはないのだろう。僕が買う半年か、いやもっと前に作られたCDなんだろうな。
肝心の音源は、それよりもずっと前にレコード会社から渡されたもの。銀色のジェラルミンケースに入ったマスターデータ。そしてそのデータも、はるばる海を渡ってきた。たぶんアメリカにある、音源を管理しているレコード会社が出発点だ。その会社はそのマスターデータを、地下の管理倉庫の中に保存してある。ずっと前、収録スタジオから持ち込まれたその日から。
「その日」は、1970年まで遡る。
そのマスターデータ(テープか。)は、別々に録られたバンドメンバーのパートの音源をひとつにする作業がエンジニアの手によって行われ、「できた!」とガッツポーズした瞬間に生まれた。
それぞれの演奏が完成するまでの間には、ジョン・アンダーソンがこの曲を持ち込み、メンバーと共有した日があり、音合せをしたりアレンジしたりする日々があった。納得のいく形になり、各々のプレイが固まり、ようやく収録されたのだろう。僕の耳に届いているのは、この収録作業のあと、さらにベストテイクとして選別された「その時」の音である。
遡って最後に辿り着くのは、ある日のジョン・アンダーソンの頭の中だ。きっと長いこと構想を練っていたに違いないが、あのフレーズ、あの歌詞が生まれた瞬間が確かにあった。
今僕が、皆が聴いている音楽のほとんどは、このように運ばれたものだ。
地球の裏側まで、断絶無くすべての国が繋がっているように、今聴いているこの名盤、名曲も地続きでクリエーターの頭に繋がっている。
レコードという、音楽を物体に閉じ込めておく発明がされて130年くらい。以来聴き手は、演奏家の目の前で音楽を聴ける「特等席」から腰を上げた。演奏家を離れた音は、距離を、時間を飛び越えて、長い旅の果てに聴き手に届くようになった。それが当たり前になった。そして、音楽が一体どこに存在するものなのか、はっきり意識することができなくなった。
僕は今日、その「特等席」に座っていた。知人のクラシックギタリストの小さなコンサートに招かれたのだ。
会場は都心のビルの4階。演奏するステージが客席よりも少しだけ高いところにある。こぢんまりとした空間だから、アンプどころか、マイク取りすらしない。ほんとうに、「生音」である。
そのギタリストの彼を、僕は「努力の天才」だと思っている。
ギターという世界で食べていく覚悟をして、徹底的にギターを理解し、愛し、曲を頭に、両手に染み込ませている。月並みな言い方をすればまさに“血のにじむような”練習を重ね、満を持して今日を迎えたのだ。
ほんの数十分の演奏ではあったけれど、なんと贅沢な時間だっただろうと思う。
演奏に至るまでの入念な準備、さらには彼の思いや覚悟や、まとめて言えば「魂」みたいなものをまるごと詰め込んだ音の一粒一粒を、一切の変換や圧縮を挟むこと無く、音源が揺らした空気の波をそのまま、直接鼓膜で受け止めるのである。これほど、自分のために尽くされた、高密度な、高純度な音楽を僕は知らない。
音楽とは、実は、こんなにもそばに近づくこともできたものだったのである。
今、インターネットがパッケージを壊し、聽き手と演奏家を隔てるのは物理的な距離のみとなった。あとは、互いが歩み寄るだけだ。再び多くの人が「特等席」を手に入れられる日もそう遠くはないだろう。
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