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2013年12月22日

「シェアされるコンテンツ」について

先日「ゼロ・グラビティ」を観にいってきたのですが、そのスピンオフムービーが話題になっていることに今さら気づきました。

個人的な感覚では、ネタバレというレベルのものではないので、まだ映画を観ていない人にもお勧めできるものです。一切情報を入れずに観たいという方には薦めませんが、それ以外は是非どうぞ。





スピンオフ、いわゆる派生物・副産物という位置づけになるわけですが、僕はなんだかこれが「SNS時代の理想的なスピンオフの形」なんじゃないかなーと思いました。

以下、さらに書きますが、ネタバレ要素は無いと思っています。
(が、気にする方はどうぞスルーを。)


この、「Aningaaq(アニンガ)」と題されたスピンオフは、本編の内容をベースに、その視点だけを変えたものです。映画の宣伝ではあるものの、いわゆる予告編的なチラ見せではなくて、本編と相互補完的に存在して映画の世界観を広げる役割を持っています。

とはいえスピンオフの方は6分50秒しかなく、あくまで本編ありきの内容ですから、これを映画鑑賞前の観客に観せること自体(動員数に与える影響として)あまり意味はないでしょう。このスピンオフムービーの役目は、鑑賞後の観客に「教えたくなる」衝動を喚起することだと思います。

本編鑑賞後、このスピンオフを観たあとに残るのはちょっとしたカタルシスです。感動というよりは、「あー、そういうことだったのね」と最後のパズルのピースが見つかったような。これは、シェアしたくなる大きな要素ではないでしょうか。鑑賞した人から、同じく鑑賞した人へ。少なくともこれは、予告編とは異なる圏域でのシェア・ムーブメントのはずです。観た人の間でのシェアとはいえ、「話題」という形で未鑑賞の人にポジティブに伝わるのは想像に難くありません。

この場面で用いられている「一方の状況が見えないシチュエーション」。これがスピンオフムービーのシェア・パワーです。人の想像力を遊ばせて、うまく行動に変換させている良い一例だな、と思いました。


てことで、「シェアされるコンテンツ」のヒントをもらった気になったのでした。


ゼロ・グラビティ観てきた。「職場」としての宇宙。