2014年2月1日
パソコンはたんすではない
こんにちは。
普段、企画とか説明資料ばかり作って泣いています。
こないだこんな記事を読みました。
「パソコンはタンスです」 姉が母のために作ったパソコン解説画像がスーパー分かりやすいと話題に
http://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/1401/30/news134.html
パソコンなんぞ所詮たんすである、と旧来UIのパーソナルコンピュータをDisる新興タブレットユーザーの話、というわけではありません。むしろそうならいいのですが、どうもそうではなく、「フォルダを開く」というGUIについて、たんすに置き換えたという話ですね。
クリックはたんすの引き手に手をかけることであり、ダブルクリックは引き出しを引くことであると・・・
で、これが「スーパー分かりやすい」と。
しかしお母さんは「まだ理解していない」。
何かの説明をするときに、身近なものをモチーフにして説明することはよくあると思います。相手にとって初見で「とっかかりの無い状態」のときに、あらかじめ別のモチーフイメージを持ってもらい、理解の下地にさせることで、お初の情報の吸収を助けるわけですね。
このたんすの例も、そういうアプローチの説明ということになります。じゃあどうしてお母さんは理解してくれなかったのか?
お母さんの分からないポイントが分からないので、何とも、ですが一つ、この説明で重要な問題があると思います。それはメタファーをメタファーで重複説明していること。
まず、「フォルダ」ってすでにPCの情報収納を現実のモノに置き換えたメタファー表現で、それが「デスクトップ」、机上に積んであるわけですね。それ自体はお母さんも理解できる範疇の現実ではないでしょうか。フォルダに手を伸ばして、その中を覗き込むこと、がお母さんの日常とあまりにかけ離れている行為なら、たんすに置き換えるのも良かったかもしれません。
たぶん、お母さんが分からないのは、PCがそういうメタファーを使っていることそのものであり、それらを操作するためのルール、ということだと思います。単にフォルダを引き出しに置き換えても、フォルダとたんすのイメージが重複するだけで、お母さんはかえって混乱してしまうのではないでしょうか。画面に引き出しは出てこないですしね。
つまり新しい情報理解を助ける下地を敷いたつもりが、かえって上から被せて隠してしまった。てことなんじゃないかなぁ。
まずはフォルダはフォルダのまま理解してもらい、それを下地にルールを理解してもらう。それしかないんでしょうね。