落書きもまた、歴史となる。
下の写真は、アンコールワット内の柱の一つに書かれた日本人の落書きである。高い所に書いてあるので上の方は撮れずに切れている。写真上部、墨でグシャっと塗りつぶされているようなところが落書き部分。うっすらと文字らしきものが見える。江戸時代、1632年に森本一房っていう人が書いたらしい。ほぼ読めないけど一番右の行、「・・・国日本」という文字がどうにか見えますな。
寛永九年正月初めてここに来る
生国は日本。肥州の住人藤原朝臣森本右近太夫一房
御堂を志し数千里の海上を渡り
一念を念じ世々娑婆浮世の思いを清めるために
ここに仏四体を奉るものなり(Wikipedia)
まぁ、ヤンキー風にいえば森本参上夜露死苦、と書いたわけですね。というのは大変失礼にあたるほど、当時は大変な苦労をしてここまで辿り着いたはずだ。
見つけた資料によると鎖国前の貿易船、朱印船に乗って、森本さんははるばるここまでやってきた。目的は、亡くなった父親の供養と、母親の後生祈念。どんだけ親孝行なんでしょうか。で、森本さんは椅子か何かに乗って、少し高めの位置にこの落書きをした。消されないようにするためか、目立たないようにするためか。いずれにせよこの位置に書いたことで、長きにわたり残ることになった。そして森本さんは無事に帰国も果たした。鎖国政策によって帰国すら許されなくなる直前だったらしい。その後も渡航者への目は厳しいものだったようで、森本さんは名前を変えるなどしてひっそりと暮らしたのだそうだ。
そして時を経てポルポト政権時代。森本さんの落書きは、この地をアジトにしていた軍の兵士によって塗りつぶされてしまった。その塗りつぶしもまた、歴史の一部になろうとしている。
そういう歴史もまるっと飲み込んで、アンコールワットは今日も悠然と佇んでいる。
参考:
アンコールワットにおける日本語墨書
http://angkorvat.jp/doc/ang-ishizawa4.pdf
■2013年10月8日〜10日カンボジア滞在関連話
・遺跡萌え。バンテアイ・サムレ
・1ドルの笑顔|バンテアイ・スレイ遺跡
・早朝のアンコールワットを撮った写真をGoogle+にアップしたら
自動補正されて一層神々しい感じになった件